イチロー伝説
キャリア24年目のメジャーデビュー?
マイアミ・マーリンズのイチロー外野手がプロ24年目で初めて公式戦のマウンドに立った。
シーズン最終戦のこの日は、3回の守備からライトで途中出場。2対6の4点ビハインドでの8回に4番手で登板し、1回2安打1失点。打者5人に対し18球を投じ、ストライクは11球。最速は89マイル(143キロ)だった。
Ichiro tosses heat. https://t.co/dIf3I4XEax http://t.co/QubGXGLOpU #Statcast
— #Statcast (@statcast) 2015, 10月 5
MLB公式サイトによれば、ジェニングス監督は、愛工大名電時代にピッチャーとして活躍したイチローのアピールを受け入れる粋な計らいを見せたという。
メジャー最年長野手であるイチローは、42歳の誕生日(10月22日)を目前にする中、志願して記念のマウンドへ。
ジェニングス監督は試合後に「我々はこの状況について話し合った。彼の最後の打席の前に、彼はバッターズサークルにいた。彼は私を見て、『(投手起用を)考えています?』と話しかけてきた。だから、私は『そうだね、君の番だ』と伝えた。彼は自分で勝ち取ったんだ」と語ったという。
Ichiro (!!!) pitched the final defensive half-inning of the @Marlins 2015 season: http://t.co/thEB4rX4uC pic.twitter.com/cRanOKgzNy
— Cut4 (@Cut4) 2015, 10月 5
この日は、本業の打者としても2打席に立ったが、いずれも空振り三振に終わり、打率は自己最低の.229で15年目のシーズンを終えた。
スポニチの記事では、高校時代の恩師の談話を紹介。それによれば豊山中時代はエースで主軸。高校入学後には140キロ台を連発し「直球は速いし、スライダーも切れていた。とにかく三振を狙っていく投手だった」という。
しかし、在学中、自転車で通学途中に自動車と接触事故に遭った。「松葉づえをつかなければいけないようなケガ。その後、投げ方を忘れてしまったのか、担ぐようになってしまった。それで打者に専念させようということになった」。
父・宣之さんが「肩は消耗品だから100球も200球も投げさせないでほしい」と望んでいたこともあり、3年の最後は抑え。それでも「投げさせれば140キロは出ていた」と振り返る。
交通事故がきっかけで打者に転向したという逸話は興味深い。
イチロー(マーリンズ)
153試 率.229 本1 点21 盗11
投手成績:1試 0勝0敗 防9.00