フェンウェイパークに、今年も流れた『もぐらの唄』
レッドソックス田澤純一
今季もメジャーで屈指の熱いファンを抱えるレッドソックスのブルペンを支えたRHP田澤純一。
フェンウェイパークのマウンドに田澤純一が上がるたびに、登場曲『もぐらの唄』(EXPRESS)が流れる。レゲエ調のリズムが耳に心地良く、ボストンの地元で問い合わせが殺到したという。
もぐらの唄がフェンウェイパークに鳴り響きます!#TazMania36
— ボストン・レッドソックス (@redsoxjp) 2014, 9月 10
「登場曲を決めるように言われて、日本語の歌がいいなと思って色々探したんです。偶然見つけて、歌詞が気に入って。こんな風になれたら、いいなぁと思って選びました」と田澤。
「おせっかいと言われても、ボストンの人々に歌詞の日本語訳を是非、知ってもらいたい」。というのは田澤と同じように海を渡った一村順子さん(スポーツライター)。
その内容が、まるで、彼の波瀾万丈の野球人生、そのものみたいな歌だからだ。
♪やりたい事やりたいように 燃えてんだ
まるで太陽のように
出来ない後戻り
「やりたい事やりたいように」。
田澤は、社会人野球から日本プロ野球を経ることなく、
ダイレクトにメジャーを目指した。
「出来ない後戻り」。
単身、海を渡った。
その後、日本の球団と契約できないルールまで出来た。
批判も浴びた。誹りも受けた。だが、信念を貫いて海を渡った。
2年目の春には右肘靱帯再建手術。
♪しない脱落 したい活躍 どん底に落ちてもそこからRise Up
思考錯誤 決めた覚悟 3日もたなきゃ それは鼻くそ
田澤は遠征に出る際に、自分のロッカーをそっと整理整頓していた。
万一、遠征中に非情のマイナー行きを告げられた時、クラブハウスの用具係が荷物を出し易いように。
♪出来ない後戻り 諦めたくないこの思い
不安という名の荷物背負いながら でも立ってんだって今ここに
辞めてたまるか 金が貯まるか 穴にはまるか下がるか 上がるか
勝利の女神俺に笑うか 描いた夢は最後に叶うか
セットアッパーとしてメジャーの名門ボストン・レッドソックスで
揺るぎない地位を確立した田澤。
それでも、不振や故障で戦線離脱する者が、
跡を絶たないこの世界。
バリバリのレギュラーだった選手が、
マイナーでもがき苦しんでいることも、珍しくない。
下がるか、上がるか、日々息詰る勝負を重ねながら、
更にワンランク上を目指して、自らの投球スタイルを築き上る。
田澤の登場は、抑えを務める上原浩治と共に、“勝利の方程式”の一角を担っいる。
つまり、『もぐらの唄』は、本拠地球場に勝利の予感が漂う中で流れる定番のメロディーということになる。
最後に、何度もリフレインされる印象的なサビの部分を。
♪この先もいろいろあんだろう それならその度にがんばろう
転けそになっても踏ん張ろう そうやって俺は強くなろう
何か残すため Born & Grow 決めたら最後までやり遂げよう
泣いても笑っても人生は一度きり
田澤は、自分の野球人生を「常に崖っぷち」と表現したことがある。
横浜商高時代は、プロはともかく、社会人からも声が掛からず、野球とは全く関係のない仕事で就職するつもりで、内定も貰っていた。
「たまたま、練習を見に来ていた人が声を掛けてくれて、拾ってもらった」(田澤)、
いわば、”滑り込み”の形で、社会人の新日本石油で野球を続けることができた。
とはいえ1年目は、芽が出ず、キャッチボールの相手にも事欠き、黙々と壁に向かって投げていたこともある。
社会人で野球で成績が出ず、通常業務にシフトされるのでは、という危機感は常に背中合わせだったという。
まさに、この歌詞の通り、何度も、何度も、転けそうになっては、踏ん張り、そうやって強くなってきたのだ。
この先も、色々あるだろう。疲労が重なったり、不用意な1球を悔やんだり、試行錯誤は、まだまだ続いている。
泣いたり笑ったりしながら、田澤の心から、この歌のスピリットが消えることはないだろう。