フィールドにそよぐ爽やかな風のような存在だったムネリン
ブルージェイズやカブスで活躍した川﨑宗則がプロ野球選手のユニフォームを脱ぐ。36歳、ちょっと早い気もする。
2000年、鹿児島工高からドラフト4位で福岡ダイエーに入団。04年にはパ・リーグ最多安打、最多盗塁。NPBではベストナイン、ゴールデングラブ賞を各2度受賞した。
日本代表として06年WBC、08年北京五輪、09年WBCに出場。
12年に憧れのイチロー外野手を追いかけるように渡米。シアトル・マリナーズとマイナー契約。スプリングトレーニングで実力を証明して、打率.455、OPS1.012を記録し開幕ロースター入りを果たした。
メジャーデビューは、4月7日のオークランド・アスレチックス戦。「9番ショート」で出場。初打席は遊ゴロに終わったものの、2打席目にバートロ・コローンからメジャー初安打、初打点を記録した。
13年にはトロント・ブルージェイズとマイナー契約。正遊撃手ホセ・レイエスの故障者リスト入りに伴い、4月13日にメジャー契約となり25人枠に入った。その明るい人柄とハッスルプレイでトロント市民からも愛された。
当時ヤンキースのイチローが、日米通算4000安打をマークした試合では川﨑も二塁手として出場していた。
16年はカブスへ。名将マッドン監督にも気に入られ、厳しい契約の壁があったが、何度もビッグリーグにコールアップされた。
その後、17年に古巣の福岡ソフトバンクでプロ野球(NPB)に復帰した。
メジャー5年間で276試合に出場。二塁手として119試合、遊撃手で108試合、その他、三塁手や指名打者としても出場している。控えのユーティリティ選手という位置だった。犠打数が13年ア・リーグ3位、14年同7位で、チームに貢献した数字と言える。
【メジャー3球団の通算成績】
633打数150安打
打率.237
出塁率.320
長打率.289
OPS.609
80得点
打点51
本塁打1
12盗塁
WAR2.1
OPS+72
引退の経緯は、西日本スポーツが記事にしている。
⇒http://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/403690
ここでも紹介したが、毎年オフには、地元九州の病院を慰問して子供たちを笑顔にしていた。川﨑のハッスルプレイが好きだった。元気にしてくれた。
ありがとう、背番号66番、元メジャーリーガー、川﨑ムネリン。