MLB メジャーリーグ物語

海を渡ってMLBで活躍する日本人メジャーリーガーたち

ハイファイブシティ。チームウエハラがNPBとMLB通算で100セーブ!

「球速も上がってきました。スプリットの切れ味も我々の愛する以前のコウジに戻りました」

――ボストンの地元テレビ局「NESN」の実況。

 

日米通算129勝の上原浩治100セーブ

 

レッドソックスの公式ツイッターは「ハイファイブシティ。チームウエハラがNPBMLB通算で100セーブ目」と守護神のマイルストーンを祝福しています。

 

ハイファイブとは、勝利のあとに上原がチームメイトとかわす歓喜のハイタッチのこと。

 

7日には投手コーチが解任され、その後、ブルペン右腕のムヒカが戦力外(トレード)に。

 

チームに重苦しい雰囲気が漂う中「(ムヒカは)ムードメーカーで寂しい思いもあるが、自分のやるべきことに変わりはない。勝てばストレスもなくなっていく」と、自分の果たすべき役割に集中した。

 

名球会入りの条件でもある200勝は日米通算で達成した野茂英雄も含めて25人いますが、「100勝100セーブ」は8人しかいないらしいですね。しかも上原の場合、通算129勝中、108勝は先発で挙げたもの。スターターとクローザーという2つの役割で大台に到達しています。

 

ちなみに「先発で100勝以上100セーブ」は、江夏豊、笹岡真司についで3人目ということです。

 

偉業を達成した上原自身もツイッターで「皆さん、ありがとうございます(^-^)/ 日米通算ですが100勝100セーブ出来ました。17年かかりました」と感謝の気持ちを伝えている。http://www.koji-uehara.net/2015/05/12/0458.html

 

また、上原100セーブのお膳だては、TAZこと田澤純一が7回1死から1回2/3を1安打無失点でホールドしている。シビレる勝利の方程式“日本人リレー”を演出している。

 

 

度重なる故障を乗り越えてつかんだ記録

 

上原は、巨人入団1年目の99年にいきなり20勝。とくに阪神ファンでもなかったのですが、当時は大阪在住でしたので、大阪から東京の巨人に行って活躍する姿を見て最初は腹が立ちました。

 

その後、上原をケガが襲う。両脚の故障が慢性化しました。それでも地道なリハビリを繰り返し闘う上原の姿がありました。結局、その故障が「クローザー上原」誕生の契機となり。07年に、両太腿を痛め、初の開幕2軍。復帰直前の4月25日、原監督に抑え転向を打診されたという。

 

初セーブは、5月2日の中日戦。この年、当時の球団記録となる32セーブをマークしています。

 

 

勝利のマウンドにコウジの姿がある

 

2009年のメジャー移籍当初は先発。しかし、オリオールズ1年目の6月に右肘を痛めてシーズン終了。脚、肘の故障から、翌10年以降は体と相談しながらリリーフに専念。

 

正確なコントロールと140キロを150キロの速度に感じさせる投球技術、パワーヒッターに向かっていく闘志あふれるパフォーマンスで、目の肥えたボストンのベースボールファンを熱狂させています。

 

13年には、春のボストンマラソンでテロ事件が起きて「BOSTON STRONG」の合言葉でボストン市民とチームは一丸となってワールドシリーズを制した。

 

その勝利のマウンドには歓喜する上原浩治の姿がありました。