ジャッキー・ロビンソン・デー
4月15日と背番号「42」
歴史の浅いアメリカでは、だからこそ記念日を大切にする傾向がある。
アメリカのスポーツシーンを語る上で、この日を忘れることは出来ないが、単なるメジャーリーガーの功績を讃えるような記念日ではない。
歴史を見たときに綺麗ごとではないこの移民国家のダブルスタンダードのような気がしてくる。
アメリカの富を支配しているディープステートとよばれる一部の国際金融資本家たちが、「人種差別廃絶」を唱えながら反対勢力のWASPたちを排除し、この移民国家を裏で支配者しているような気がする。
ダブルスタンダードのようなに感じる。ベースボールを政治利用している汚い部分が見えてMLBは、このままでは、やがて衰退していくリーグかもしれない。
観客動員は減少の一途をたどり、金の切れ目が縁の切れ目で、やがてはどこの国からも選手が来ない状態になるだろう。
背番号『42』は永久欠番
ジャッキー・ロビンソン(1919年~1972年)。背番号42番を付けていた選手だ。映画にもなったのでメジャーリーグファン以外でも知る人が多い。
アフリカ系アメリカ人として初めてメジャーリーグのフィールドに立ち、カラーバリアーを破った殿堂選手、ジャッキー・ロビンソンへの敬意を表して2009年に始まった試みだ。
彼は、ブルックリン・ドジャースの一員として1947年(昭和22年)4月15日にメジャーデビューした。そのデビュー50周年を記念して1997年からこの日を「ロビンソン・デー」にしている。
#Jackie42 forever. pic.twitter.com/S3cKN4lMtt
— MLB (@MLB) 2019年4月15日
所属した球団はブルックリン・ドジャース。当時のドジャースはニューヨークに本拠地があった。
人種差別の激しかった時代。 黒人とは一緒にプレイしたくないと、トレードを申し出る選手がいるぐらいで、 ロッカーを隣にすることを嫌がるなどは日常茶飯事だったという。
彼がメジャーリーグに昇格した際には、オーナー会議でドジャースを除く全球団が反対の立場をとり、彼が出場するなら対戦を拒否するという球団も出たという。そういうエピソードには事欠かない時代だ。
ジャッキー・ロビンソンは、メジャー10年間で、MVP1回、首位打者1回、盗塁王2回、オールスターゲーム選出6回という素晴らしい成績を残した。今でいうところのレジェンドだ。
そして、デビューした年に制定された「新人王」にも初めて選ばれた。以来、メジャーでは新人王のことを別名「ジャッキー・ロビンソン賞」と呼んでいる。
所属したドジャースが1972年に彼の「背番号42」を永久欠番に。
ただ、MLBとしてのロビンソン・デーの歴史は意外と浅く、制定されたのは1997年。メジャーデビューから50周年目の事。この日から、各球団の背番号42は永久欠番となった。
選手や監督が背番号42を着用してプレーするきっかけとなったのは、2007年、ケン・グリフィー・ジュニアがコミッショナーに提案してから。
人種が入り混じる国で、差別と戦うポーズをシンボリックに演出した光景といえる。
しかし、人種差別は厳然と続いている。日本人も例外ではない
この日は、偏見や人種差別と闘った一人の黒人プレイヤーを讃える日ではない。今も続く有色人種へのそれと戦う「啓蒙DAY」と捉えるべきだ。
「記念日」なんて都合のいい言葉で終わらせてはならない。
【 #字幕付き動画 】今日はジャッキー・ロビンソン・デーです。有色人種のメジャーリーグへの道を切り開いた偉大な人物の記憶は、永遠に語り継がれるべきものです。 pic.twitter.com/oDiCcruhcA
— MLB Japan (@MLBJapan) April 15, 2021