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黒田博樹、苦難を力に変えた男の軌跡 背番号「15」が広島の永久欠番に

広島が今季限りでの現役引退を表明した黒田博樹の背番号「15」を永久欠番とする方針を固めた。時事通信などが伝えている。

黒田博樹──“控え投手”から日米通算203勝

 

黒田博樹の野球人生は、決して順風満帆なスタートではなかった。上宮高校での3年間、彼は控え投手に甘んじた。とりわけ3年夏は、西浦克拓(元日本ハム)、溝下進崇の後ろに控える三番手。結局、最後の夏は公式戦で一球も投げることなく終わっている。

 

その悔しさを胸に、黒田は東都大学リーグの専修大学へ進学。当時の専修は2部所属で、六大学の華やかさとは無縁の環境だった。それでも地道に腕を磨き、チームは黒田が4年春に1部昇格を果たす。

 

1997年、NPB広島東洋カープからドラフト2位で指名され入団。11年間の広島でのプレーを経て、2007年12月15日、ロサンゼルス・ドジャースと3年3530万ドルの大型契約を結ぶ(AP通信)。

 

メジャー1年目の2008年6月6日、カブス戦では9回4安打無失点、11奪三振、無四球の圧巻の投球で初完封をマーク。

 

だが、そのわずか13日後に右肩腱炎で故障者リスト入り。翌2009年には、ダイヤモンドバックス戦でラスティ・ライアルの打球が頭部を直撃し、再び離脱を余儀なくされた。

 

それでも黒田は折れなかった。生き残りをかけて磨いたのが、のちに「フロントドア」と呼ばれるツーシーム。右打者の内角へ食い込むこの球は、彼の代名詞となっていく。

 

その後は名門ニューヨーク・ヤンキースでも先発ローテを支え、メジャーで確かな地位を築いた。2015年オフにはヤンキースからのクオリファイングオファー、さらには他球団の高額オファーを断り、古巣・広島へ復帰。復帰1年目からローテーションの柱としてチームを牽引し、25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

 

日米通算203勝。日米40球団すべてから勝利を挙げた唯一の投手。その引退はアメリカのメディアでも大きく報じられた。

 

 

黒田博樹

 

球団幹部はこう語る。

 

「苦難の歴史と優勝を経験した黒田が、広島に戻ることで“お金以外の価値観”を示してくれた」

 

広島には、1970〜80年代の黄金期を支えた山本浩二の「8」、衣笠祥雄の「3」という永久欠番がある。その系譜に連なるにふさわしい存在として、黒田博樹の名は今もファンの胸に刻まれている。

 

 

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