中後悠平 戦力外からメジャー昇格へあと一歩
ここでも8月20日に紹介したが、昨シーズン終了後に千葉ロッテマリーンズから「戦力外通告」を受けた中後悠平(なかうしろ ゆうへい)。
9月にロースターが拡がるセプテンバー・コールアップでメジャー昇格が期待されたが、残念ながら「和製ランディ・ジョンソン」と称された変則左腕の雄姿は見られなかった。
しかし、捨て身の男は、来季につながる活躍をメジャーのひとつ下のリーグ、3A「リノ・エーシズ」で見せた。
その左腕のインタビューがスポーツニッポンで掲載されたので興味のある方は読んでいただきたい。挑戦者の言葉は迫力もありアツい感動すら覚える。
中後悠平 戦力外からメジャー昇格あと一歩「野球人生で一番いい年だった」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/ftsQSzHOHG
— ウエダスポーツ (@buffaloueda) 2016年9月24日
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/24/kiji/K20160924013410700.html
スポニチの記事によれば
「(ロッテを)クビになって良かったなと思っているんです。収入も減ったけど、違う環境で野球ができて得たものはいっぱいあったので」
の言葉が印象的だ。
「自家用車は売却。わずか10万円と、一足のスニーカー。渡米時に持っていた現金はすぐに使い切った。延長キャンプで給料はなく、球団から支給される1週間のミールマネー(食費)は約100ドル(約1万円)。スニーカーは履きつぶしてボロボロになった」
という。
3A昇格後は、貴重なリリーバーとして13試合連続無失点だった。メジャーには届かなかったが3Aで残した結果は自信につながる。
中後は27歳とまだまだ若い。メジャーは契約社会。ロースター40人枠の分厚い壁が待っているが、同じリリーバーで今季FA権を獲得する田澤純一や大先輩・上原浩治らに代理人のことや技術面、生活面の教えを乞うてはどうだろうか。
メジャーに挑戦するサムライ野球人として胸襟を開いて迎え入れてくれるはずだ。その挑戦のストーリーを応援したい気がした。
◆中後 悠平 (なかうしろ・ゆうへい)
近大新宮高(和歌山)から近大を経て2012年にドラフト2位でロッテに入団。変則左腕としてロッテでは実働3シーズンで計37試合に救援登板し、2勝2敗6ホールド、防御率5.68だった。 しかし、15年は1軍登板なし、オフには戦力外通告を受けた。
プロ野球選手の最後の復活チャンスとなる「12球団合同トライアウト」でも結果は出せず、地域リーグのBCリーグ・武蔵ヒートベアーズ(埼玉県)に入団した。
しかし、その一部始終が、TBS系列の人気ドキュメンタリー「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男」の2015年版で取り上げられ、その番組を見たメジャーのスカウト達の目に止まった。
メジャー3球団から招待選手としてスプリングキャンプへオファーを受ける中、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約に至った。 ビザ取得が遅れてスプリングキャンプには参加できず、ルーキーリーグが始まった6月にデビューしている。
ダイヤモンドバックスの傘下球団
- リノ・エーシズ〈AAA〉
- モバイル・ベイベアーズ〈AA〉
- バイセリア・ロウハイド〈A+( Adv.)〉
- ケーン・カントリー・クーガーズ〈A〉
- ヒルズボロ・ポップス〈SS〉
- AZL・ダイヤモンドバックス〈ROOK〉