衣笠祥雄とカル・リプケン
衣笠祥雄さんに捧げる
カル・リプケンが慕った“キヌガサ・アイアンマン”
2018年4月23日、偉大な野球人がこの世を去った。これは、その時(2018年4月23日)にお伝えした記事を再ポストしています。
地味な記録と思われがちな連続出場記録。
広島カープの衣笠祥雄氏がメジャーリーグのルー・ゲーリッグ氏の記録を抜いたのは1987(昭和62)年6月13日。そのマイルストーンは、メジャーのレジェンドと対比された事で一躍脚光を浴びた。
2131試合連続出場。日本はバブル景気で湧いていた時代だった。
衣笠氏の記録は、広島に入団して6年目、1970年10月19日の巨人戦より始まった。10年後の1980年には1246試合連続出場の日本記録を更新。
その後も記録を更新し、1987年のシーズン終了と同時に現役を引退したものの、連続出場回数は2215まで伸ばした。
その年の6月22日には王貞治氏に次いでプロ野球選手として2人目の「国民栄誉賞」を授与されていた。
衣笠氏がゲーリッグ氏の記録を塗り替えたとき、メジャーリーグの現役選手ではカル・リプケン(オリオールズ)が試合出場を続けていた。
リプケン氏のメッセージが残っている。「私の記録など、キヌガサ・アイアンマン(鉄人)の三分の一ちょっとにしか及ばない」(『毎日新聞』1987年6月14日付)
野茂英雄氏が海を渡る8年前。メジャーリーグが遠い雲の上の存在のように感じた。そのスター選手が衣笠氏に“アイアンマン”の称号を贈った。
リプケンは、その後も記録を伸ばし続け、“アイアンマン”を祝福した9年後の奇しくも同日、1996年6月13日の対ロイヤルズ戦で、ついに衣笠氏の記録に追いつき、翌14日にはそれを上回る2216試合出場を果たした。
衣笠氏は、自身の記録が更新されるにあたり、2日続けて球場に招かれ、今度は逆にリプケンを祝福している。なお、リプケンの記録は1998年9月19日まで続き、2632試合に達した。
プロ野球で23年間、2677試合に出場。2543安打、504本塁打、1448打点。打率.270、出塁率.345、長打率.476、OPS.820。
偉大なプロ野球選手は2018年4月23日、71歳で永遠の眠りについた。
衣笠祥雄氏の個人タイトル・表彰
【タイトル】
盗塁王:1回 (1976年)
【表彰】
NPB ベストナイン:3回 (1975年、1980年、1984年)
NPB ゴールデングラブ賞:3回 (1980年、1984年、1986年)
大賞:1回 (1984年)殊勲賞:1回 (1987年)
国民栄誉賞 (1987年)
広島県民栄誉賞 (1987年)
京都市市民栄誉賞 (1987年)[19]
新語・流行語大賞 特別賞 (1987年、「鉄人」)
野球殿堂競技者表彰(1996年)
◇記事参考
http://bunshun.jp/articles/-/2885