MLB メジャーリーグ物語

海を渡ってMLBで活躍する日本人メジャーリーガーたち

黒田博樹、MLB挑戦の軌跡 彼が成し遂げたものとは

自分の美学を貫いた黒田の野球人生  

 

黒田博樹MLB挑戦の軌跡を辿っていきたい。

広島東洋カープからMLBロサンジェルスドジャースに渡ったのは2008年。

 

彼の名前を全米に知らしめたのが、1年目の7月7日、アトランタ・ブレーブス戦で7回までの完全投球。8回に先頭のテシェーラに二塁打を許し、偉業達成こそらなかったが、その後も1人も走者を許さずに28人斬りで完封した。 

 

ダルビッシュもあと一人という惜しいゲームがあったが、“準完全試合”は、01年の野茂英雄(当時レッドソックス)以来となる日本人2人目だった。

 

日本人初の完全試合はならなかったが、わずか91球での完封劇は、スポーツメディアのヘッドラインで紹介され一躍「KURODA」の名前を全米のベースボールファンに焼き付けた。

 

細かいスタッツは紹介しない、どこのサイトでも紹介してるので、知りたい方はMLBの専門サイトでも見ていただきたい。

 

2009年には、4月6日のパドレス戦で野茂、松坂大輔に続いて日本人史上3人目となる開幕投手を務めた。 

 

2010年には11勝(13敗)、2011年には13勝(16敗)と2桁勝利を達成。オフにはFAとなり、名門ヤンキースと契約。CC・サバシアに次ぎ先発ローテーションの2番手として16勝(13敗)を挙げ、地区制覇に大きく貢献した。 

 

3年連続2桁勝利は、日本人としては野茂(1995~97年、2001~03年)以来2人目。イオニアの背中へ一歩ずつ近づいていった。

 

ヤンキースに移ったことで日本のファンもCSチャンネルで、そのパフォーマンスを毎試合楽しめるようになった。

 

2013年には、8月中旬に一時は防御率でリーグトップに立つなど、サバシアが不調の中でエース級の働きを見せた。それでも35歳を過ぎ、毎年200イニング前後を投げてきた体には、疲労が蓄積したのだろう、最後は6連敗と大きく崩れてしまった。

 

それでも11勝13敗、防御率3.31でフィニッシュ。4年連続2桁勝利は野茂英雄もなし得なかった日本人初の快挙。計算できるスターターとして、オフに入るとヤンキースはすぐに再契約に動いた。

 

2014年は、7月25日のブルージェイズ戦で、野茂以来となるメジャー200先発を達成。さらに、けが人続出のヤンキースで1人だけ先発ローテーションを守り続け、8月28日には野茂以来となる5年連続での規定投球回到達も成し遂げた。

 

その年の夏には、自分を育ててくれた広島が豪雨による土砂災害で被災した。

 

黒田は、その故郷の人たちを励ますように終盤は勝利を重ねた。11勝9敗、防御率3.71でシーズンを終了。自身の日本人記録をさらに伸ばす、5年連続2桁勝利を達成した。投球回数は199回で、今季もまた200イニングちかい仕事をした。

 

こんな比較をしていた専門サイトがあった。黒田と同じ2008年にメジャーデビューを飾り、今オフにタイガースからFAとなったマックス・シャーザーは、7年間で198試合に先発し、91勝50敗、防御率3.58。

 

一方で、黒田はシャーザーよりも多い211試合に先発して防御率3.45、79勝79敗となっている。黒田にもシャーザーと同じように“正当”なランサポートがあれば、勝敗数は大きく変わっていた可能性が高い。

 

しかも、投球回はシャーザーの1239回1/3に対して、黒田は1319回。シャーザーは13年に「サイ・ヤング賞」に輝き、今オフはFA市場の目玉となった。

 

30歳のシャーザーと2月に40歳になる黒田と若干無理はある比較だが、そのシャーザーと比較しても遜色ないどころか、それを上回るような投球を黒田はメジャーで続けていたことになる。

 

でも、黒田は日本球界の復帰を選んだ、そこにはキャリアの終盤にどんな姿を選ぶか、拝金主義とまで言いたくないが、それを選ぶのか、それとも黒田のように自分の美学を貫くのか、凡人には計り知れない仕事人の生きざまが出ているようで興味深い。