MLB メジャーリーグ物語

海を渡ってMLBで活躍する日本人メジャーリーガーたち

「江夏の21球」と山際淳司さん

   

江夏の21球」というルポが好きだった。

今でもお気に入りの作品だ。

 

1980年、スポーツグラフィック・マガジン

『NUMBER』の創刊号に掲載された山際淳司さんの才能が際立った作品だ。

 

後に《スローカーブを、もう一球》という、氏の作品8篇を集めた本が出され、「日本ノンフィクション賞」を受賞している。

 

1979年11月4日。日本シリーズ第7戦

シーズンの掉尾を飾る最終戦

 

その日、私は、大阪球場ライト側の外野席にいた。だから、このルポを目にした時は、何も考えず、条件反射的にその雑誌を手にしていた。そこにいたから。

 

子供の頃から熱狂的な近鉄バッファローズ のファンだったから当然の事だろう。

 

10代後半だった。当時、仲間内で流行っていた願掛けの一種《お願いタバコ》をして、祈るような心境で、その場にいた。

 

巨人でも阪神でもない。近鉄と広島というマイナーチーム同士の対戦!

 

 

近鉄ファンからすれば、その球史に残る激闘のドラマを《僅か21球》という視点で捉えた切り口に、衝撃を覚えたものだ。

 

対象物との確かな距離感。入り込まず、でも、曖昧でもなく。スポーツの読み物にありがちな汗と涙の根性モノではない。

 

サラッとした感覚の、皮膚に付けてベタつかず、それでいて使用後に潤いをもたらしてくれる。そんな感じの当時としては、洗練されたCOOLで、都会的だった印象がある。

 

私にとっては、ノンフィクションというジャンルをさらに楽しくさせてくれた作品だった。

 

山際さんは、私が感じている限り、瞬く間にジャーナリストとしての脚光を浴び、執筆活動と共にNHKのスポーツ番組のキャスターなど90年代の半ば頃まで、メディアの中心にいた。

 

売れっ子になって、忙しかったのだろう、印刷所の校正室で書いて、それをそのまま活字にするような、そんな多忙な日々が、あったのかもしれない。その後、レベルこそ違い同じような仕事をしていたが、凡庸な私では、計り知れないストレスもあったのだろう。

 

山際淳司さんが46歳の若さで世を去り、すでに17年が過ぎた。あの時から34年目の春が来ようとしている。