ジャッキー・ロビンソン・デー
4月15日:歴史を変えた背番号「42」
現地時間1947年4月15日。記念日を大切にするアメリカにおいて、この日は特にスポーツシーンを語る上で欠かすことができない。この日、アメリカでは背番号「42」、ジャッキー・ロビンソン(1919年~1972年)の功績を称える。
ロビンソンは、黒人初のメジャーリーガーとして1947年4月15日にデビューした。そのデビュー50周年を記念し、1997年からはこの日が「ジャッキー・ロビンソン・デー」として制定されている。

人種差別との闘い、そして偉大な功績
ロビンソンが所属したのは、当時ニューヨークを本拠地としていたブルックリン・ドジャース。
人種差別が激しかった時代、彼のメジャー昇格は大きな波紋を呼んだ。オーナー会議ではドジャースを除く全球団が反対の立場を取り、彼との対戦を拒否すると表明する球団さえあったとされる。
黒人選手と一緒にプレーしたくないという理由で、トレードを志願して球団を去る選手が出たり、ロッカーを隣にするのを嫌がるなど、差別は日常茶飯事であった。
彼がメジャーに昇格する際、オーナー会議ではドジャースを除く全球団が反対の立場を取り、彼が出場するなら対戦を拒否すると言う球団もあったという。そんなエピソードには事欠かない時代だった。
このような逆境の中、ジャッキー・ロビンソンはメジャーリーグで10年間活躍し、MVP1回、首位打者1回、盗塁王2回、オールスター選出6回という素晴らしい成績を残した。
さらに、彼がデビューした年に制定された新人王の栄誉を初めて獲得したことから、現在もメジャーリーグの新人王は「ジャッキー・ロビンソン賞」の別名で呼ばれている。
永久欠番から全球団での着用へ
所属していたドースは1972年に彼の「背番号42」を永久欠番とした。

そして、メジャーデビュー50周年となる1997年の「ロビンソン・デー」以降、MLBでは全30球団で背番号「42」が永久欠番となった。これは、彼の偉業と人種差別撤廃への貢献を讃える、野球界全体での決定である。
さらに歴史は進む。2007年、「ロビンソン・デー」に全選手・監督・コーチが背番号「42」を着用してプレーするという取り組みが、ケン・グリフィー・ジュニア選手の提案をきっかけに始まった。
現在では毎年4月15日、選手たちが一斉に背番号「42」を背負うその光景は、人種が入り混じるアメリカという国で、人種差別と戦い、正義を象徴的に演出するものとなっている。