MLB メジャーリーグ物語

海を渡ってMLBで活躍する日本人メジャーリーガーたち

泣かせる!日本ハム中田翔、母子家庭サポート「喜んでくれたら」

 

「母がいろいろ苦労してやっていたのを見て育ってきた。少しでもサポートできれば...」

 

メディアが報じたこのニュースに胸が熱くなった。

 

北海道日本ハムファイターズ中田翔内野手が、今季のホーム開催試合(札幌ドーム58試合)に、支援団体や市町村を通じ、ひとり親家庭の親子を招待する「絆シート」を設置する。

 

幼少期は広島市民球場で緒方、江藤らのプレーを見たのが縁だという。

 

 

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「野球のチケット」に関しては、誰が書いたかは分からないが、いつもこの記事を思い出す。

 

 

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。

 

学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。

 

それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

 

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。

 

給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

 

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。

 

俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

 

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。

 

母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。

 

チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。

 

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

 

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。

 

新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。

 

結婚もして、母に孫を見せてやることもできた。

 

そんな母が去年の暮れに亡くなった。

 

死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。

 

俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

 

 

 

 

もちろん成功したスポーツ選手が慈善活動をするのは海外では当たり前のことだ。メジャーリーガーは熱心に慈善活動をする。多くの選手がファンド(基金)を設置して継続して支援している。

 

そこまでいかなくても川﨑宗則も地元福岡の久留米市で毎年、病院を慰問して子供たちを励ましている。岩隈は草野球チームのオーナーになって野球を通じて地元の活性化に貢献している。

 

私は大阪出身なので、思い出すのは元阪神タイガース赤星憲広氏。

 

赤堀氏は現役時代から行ってきた車いす寄贈活動などの継続支援を目的に基金を設立。車いすをこれまで約900台寄付するとともに様々なスポーツイベントを開催して引退後も地域に貢献している。

 

 

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