気仙沼の希望のバッティングセンターが営業再開
「気仙沼フェニックスバッティングセンター」
※これは以前に他のサイトにポストしたものをリライトして再ポストしています。この野球施設は、2022年1月より冬季休業していましたが、2月26日より営業再開しました。
東日本大震災の津波で家族5人を失った宮城県気仙沼市の男性が、全国からの寄付も受けて、無事だった息子のために建設を進めてきたバッティングセンター「気仙沼フェニックスバッティングセンター」(宮城県気仙沼市松崎柳沢)が2014年3月30日、オープンした。
このバッティングセンターを建設したのは、気仙沼市の千葉清英さん。 千葉さんは、東日本大震災の津波で妻と長女、次女、それに両親の5人を失いました。家族で残ったのは、息子と千葉さんの2人だけでした。
その後、野球が大好きな瑛太君(当時12歳)を気晴らしで1時間半かけて連れて行った奥州市のバッティングセンターで、「気仙沼にバッティングセンターがあったらいいな」と言われ、息子や友達の野球少年のためにと経営する牛乳販売店の売り上げや全国からの寄付などで建設を進めてきました。
オープンセレモニーには、地元の子ども達などおよそ150人が集まり、来月から中学生になる瑛太さんが最初の打席に立ちました。高台に 完成したバッティングセンターは、約3,300平方メートルの敷地内に7台のピッチングマシンをそろえた。全てに左右の打席を備えるのは、全国でも珍しいということです。
11年前に関東から移り住んだ気仙沼への恩返しで「遊ぶ場所が限られている被災地の子どもたちが、思い切り体を動かせる施設になってほしい」と千葉さんは願う。
自力での建設にも執着しました。12年3月にオリジナル商品「希望ののむヨーグルト」を開発し、全国の物産展などで約5万本を販売。売り上げを建設資金に積み立ててきました。数千万円掛かった建設費の多くは銀行から借り入れたが、公的資金は一切受けなかったという事です。
千葉さんは、「たくさんの支援で完成しました。皆さんの笑顔を生む施設にしたいです」と話していました。 息子の瑛太さんは「自分のひと言でバッティングセンターができるとは思いませんでした。お父さんは1つの夢があったら最後までやり遂げる人です」と話していました。
▽気仙沼フェニックスバッティングセンター
〒988-0141
★2022年2月26日(土)13時~営業再開!
■営業時間
月 13時〜18時
火 13時〜18時
水 13時〜18時
木 休業
金 13時〜18時
土 13時〜18時
日 12時〜18時