3試合で降格したブルージェイズ川﨑宗則に
テレビのMLB番組で魂のエール!
オリックス・ブルーウェーブ(当時)で活躍した田口壮は2002年、FA権を行使してセントルイス・カージナルスと契約したがマイナーリーグで開幕を迎えた。
同じチームから2001年にアメリカに渡ったイチローとは好対照だった。
田口は雑誌のインタビューにこう話す「10時間近いバス移動や夜間・早朝に一般客に交じってエコノミークラスで飛行機を乗り継ぐのはザラ。食事はファストフードのうえ通訳もいなかったので、サブウェイやマクドナルドで注文するのも一苦労でした」。
そんな田口の勲章がワールドチャンピオンリング。海を渡った日本人メジャーリーガーは50人を超えるが、ワールドチャンピオンリングを2個持っている日本人は井口資仁(現千葉ロッテマリーンズ)と彼しかいない。
田口 壮 672試合 .279(1369-382) 19本塁打 163打点 39盗塁 STL(2002-2007) PHI(2008) CHC(2009) pic.twitter.com/VFrBF5yyoD
— MLB選手通算成績bot (@mlb_player_bot) 2015, 5月 23
パワーとスピードが段違いのMLBで「チームのために何ができるか」をひたすら追求した。
その結果、3年目からメジャーに定着。2006年にはデトロイト・タイガースとのワールドシリーズに出場した。
今でも目に焼きついているシーンがある。田口が「人生で一番緊張した」と語る、2勝1敗で迎えたホームのWS第4戦、1点ビハインドの7回裏・ノーアウトでランナー二塁というあの場面。名将トニー・ラルーサはここで「バッター・タグチ」とコールした。
「体の大きい左打者に代わって僕が打席に入り、球場全体が『送りバントだ』とわかっていた。プレッシャーに手が震えましたが、誰よりも準備していたので普段通りやれば成功すると信じていました。ボールが指に当たって骨折しても知らん顔で一塁に走るつもりでした」
固唾を呑んで見守ったあのシーン。値千金のバント。いぶし銀が輝いた瞬間だった。
さらに、このプレーが野手のエラーを誘い、逆転勝利を呼び込んだ。自らの役割をきっちり果たした田口の手は塁上で震えていたという。
「とにかくメチャメチャ嬉しかったですね。“コレを求めてやっているんだよな”と改めて感じましたし、“また勝ちたい”という気持ちになった。今も苦しい時にリングを見ると“あの時は頑張ったな”と救われます」
そんな田口が、マイナーに降格した川崎に対してNHK-BSの「ワールドスポーツMLB」で語ったひと言「川崎、頑張れ!」は、重みのあるひと言だった。